クラプトンのギターは歪まない。
クラプトンを初めて聴いたのはこのライブ盤だ。知識もなくジャケットが気に入って購入した。周りのギターヒーローはリッチーブラックモアが主流だったこともあり、初めて聴いたクラプトンのギターの音には驚いたと同時に素敵な音に聴こえた。これがホントのストラトの音とかとも思った。
歌うクラプトンも良い、このアルバムの中で一番好きな曲はブルース色が強い曲ではなく”Wonderful Tonight”だ。曲も好きだ。何よりギターソロメロディーが切ない。1小節にどのくらい詰め込められるか大会の曲では到底ない。人間が聴く以上いつの時代でもエモーショナルな部分で問いかけてくる曲には適わない。そして今夜もクラプトンのギターは歪まない。
娘とのコミュニケーションツール”YUI”
この記事では音楽性には触れないでおこう。
YUIには感謝している。YUIというアーティストがいなかったら娘と密にコミュニケーションが取れていたかどうかわからない。”親父は汚い”イメージの昨今、娘とは今でも中々良い距離感でいる。
一緒に武道館にも行った。あの日の武道館は娘が最年少、父が最年長の親子だったと思う。ギターを弾いて歌うようにもなった、不明な事はいつも聞いてくれた。今でもギターを弾いて歌っている。音楽の話もする。演奏できる所には一緒に出掛ける。
こんな関係でいられるのもYUIの音楽があったからだろう。沢山の人間に影響を与えたことは誰も異論はないと思うが、僕にとってはYUIは娘との”最強なコミュニケーションツール”なのだ。
若くもないのに「あいみゅん」を聴く
若者に媚びてる訳ではない。かなり世代が違うシンガーソングライターなのに入ってきた。何処に入ってきたかというと僕の中に入ってきた。完全に1曲目で鷲掴みにされちゃいました。彼女の曲の凄いことは誰でも作れそうな曲のような気がするが、絶対に一般人には作れないという感性で出来てる事だと思う。絶対真似できないアーティストより、”自分でも作れそう”と思わせておいて絶対作れない。これは前者より断然凄い。
セカンドアルバムも2月に発売になるが、今回も今時の”初回限定盤にはDVDも付けちゃいますよ”というものではなくCDオンリーの発売方法だ。「そんなに私、みんなに媚びないけどCD聴いてね。」と言わんばかりの今の時代と逆境する曲だけで勝負する潔さには頭が下がる。
発売日まで待ち遠しい。
モヤモヤするテレキャスター
30年くらい前に購入したテレキャスター。
最近モヤモヤしている。 このギターは何年製のものだと。
「ネックデイトあたりを調べるとわかるよ」と言われそうだが、それが怖い。
ボディはリフニッシュしてあるのだがピックアップなど外見はそうとう古そうだ!
墓場までこのモヤモヤを持って行くのはイヤなので、近い未来ギター屋さんで調べてもらおう。
サイモン&ガーファンクルへanother story
海の向こうセントラルパークではビック・ディオが復活したらしい。そして日本に届いたのは、その時間を切り取ったジャケットの2枚組LPだ。そして恐ろしいことに日本でそのコンサートが再現されると言うのだ。
僕はサイモン&ガーファンクルを21年の人生の中で通っていない。よってメジャーな曲しか知らない。だが僕は2枚のチケット購入を申し込んだ。それは単純な理由で気になっていた彼女が好きなことを知っていて一緒に観に行きたかったからだ。もっと正確に言うなら彼女と2人で一緒の時間を共有したいという邪な考えからだ。
断れる可能性のある中、運良く2枚のチケットが僕の元に届いた。彼女は僕より3才年上で東京生まれの大人の女だ。僕も成人を過ぎていたので大人だが3才以上に大人を感じる女でそこに惹かれた。
当たり前の話だがアナログな時代なので、遠い所から・”字”のみで誘うのは不可能で直接誘わなければならない。断れる可能性が大いにある中、僕は軽い口調で「タカコさん、後楽園球場へ一緒にコンサート観に行かない?」と誘った。彼女は何のコンサートか察したらしく、「取れたの? 私でいいの? 観に行きたい。」と言ってくれた。
ただ、「ナオトと観に行きたい。」ではなかった。これが”ブームタウンラッツ”あたりだったら断られたかもしれないなと思った。
当日がやってきた。彼女との二人は何もかも初めてだった。電車に乗るのも、二人で歩くのも、後楽園球場に行くのも。
球場の中に入り二人の席を探した。二人の席は、どの人がサイモンで、どの人がガーファンクルか判断がつかないくらいステージから遥か遠い所にあった。でも彼女はステージ方向を見て「凄い、楽しみ」と言って僕より年下の女の子になっていた。そしてコンサートが始まる前ビールで彼女と乾杯をした。
コンサートが始まった。冒頭で言ったが僕はサイモン&ガーファンクルを良く知らない。だが音が鳴ってる空間は好きだ。コンサートの雰囲気も好きだ。なにより隣で無邪気にリズムを取ったり、声援を送ったり、拍手をしたりしている彼女を感じることができるのが今は好きだ。
あっという間にコンサートは終了した。それは同時に二人の時間の終了を意味する。コンサートが終わったら彼女に僕の気持ちを打ち明けるはずだったが、この幸せな雰囲気、この彼女との距離感を壊れる恐怖から打明けることが出来なかった。遅い夕食を取り別れ際、彼女はお礼を言ってくれた。「今日はありがとう。ほんと楽しかった。ナオトが弟だったらな。」 僕は1人総武線の電車の中”The Sound of Silence”ではなく”Boxer”が頭の中で鳴っていた。